白い封筒に、深い茶色で書かれた私の名前は、間違いなく翠の書いたものだった。
封筒を表裏に回して見ても、翠の名前は書かれていなかった。
でも、このきれいで、ちょっと丸っぽい文字は、ずっと見ていた翠の文字だった。

なぜ、翠は手紙を送ってきたんだろうか。
昨日だって、一昨日だって、メッセージを送り合ったりしていたし、電話をすることだってあった。
わざわざ手紙を書く理由って、いったい何だろうか。
白い封筒をただ見つめるだけでは、理由はわからなかった。

「遥夏、ごはんできたよ。なにしてるの?」
キッチンの窓の隙間から、母の声が聞こえてきて、はっとした。
慌てて白い封筒をブレザーのポケットに入れて、段ボールを抱えて家に入った。

リビングに入ると、母がテーブルに料理を並べていた。
わたしがリビングに入ったことに気づくと、母はわたしに近付いて、段ボールを受け取った。
よっこいしょ、とわざとらしく言いながら段ボールをキッチンへ運んだ。
「遥夏、廊下の鞄片付けて。それと、手洗ったら自分でご飯と味噌汁よそってね。」
「……ほーい」
てきぱきと指示を出す母は、どうやらまだ仕事モードのままらしい。
小さくため息をつきながらリビングを出て、廊下でくたっとした鞄を拾って、自分の部屋に入った。
床に鞄を再びどさっと置いて、ブレザーを脱いだ。
ブレザーのポケットからはみ出していた白い封筒は、慎重に取り出して机の上に置いた。

机の上に置いた手紙をじっと見つめていた。
何が書かれているのだろうか。開けて確認したい気持ちと、まだ取っておきたい気持ちが、心の中でぐちゃぐちゃと混ざっていた。
心が落ち着かないまま、手にもっていたブレザーのポケットに手を入れて、携帯電話を取り出した。
メッセージアプリを開いて、そのまま一番上に表示される、見慣れたアイコンをタップした。
『翠、手紙くれた?』
それだけ送信したら、自分の部屋を出た。
手紙は、あとでゆっくり読もう。
好きなものは、最後まで大事に取っておきたいタイプだねと、よく翠から言われていたのを、ふと思い出した。

母の言う通りに、手を洗ってからキッチンに入った。
炊飯器の隣にはお茶碗と汁椀が置いてあった。
ありがたく用意された器によそって、リビングへ向かった。
母は自分の分をよそい終わっていたようで、プロジェクターに何かを映し出そうと、携帯電話とプロジェクターを交互に見ながら険しい顔をしていた。
「あ、きたきた、これさ、どうやったら見れるの?」
そう言いながら携帯電話を差し出されたので、プロジェクターに転送した。
「前も説明したじゃん。」
「そうだっけ?まあいいじゃない。ありがとう」
母はあっけらかんとわたしに言い放ってから、プロジェクターに目線を動かした。今日はどうやら、昨日のドラマの続きが見たかったらしい。
画面に、今流行りのイケメン俳優が映し出されて、ご満悦なご様子だった。
「いただきます。」
そんな母の様子を無視して食べ始めた。
「ああ、そうだった。いただきます。」
母もつられて、箸を手に取った。

ドラマが終わって広告動画が流れ出した頃に、わたしは母に質問をした。
「……ねえ、手紙って、どうやって出すの?」
母は、野菜炒めを口に含むのをやめて、わたしを見た。
「え、うそでしょ、知らないの?」
「うん。だって、手紙とか出さなくない?携帯あるからすぐ連絡できるじゃん。」
「……そっか……」
母はそう呟いてから、うなだれていた。
そんな、うなだれるような事なんだろうか。わたしは味噌汁を飲みながら、母の答えを待った。
「手紙出すのなんて簡単よ。封筒に住所と宛名書いて、あとはポストに入れれば届くわよ。」
「ふーん。何日くらいで届くの?」
「場所にもよるかもしれないけど、だいたい2日くらいあれば届くんじゃない?」
「2日くらい、ねえ……」
母は、さっき食べるのを止めた野菜炒めを食べ終えていた。
「私ですら、めったに手紙なんて書かなかったし、遥夏くらいの世代だと、もっと書かなくなるよねえ。」
「お母さん、手紙書いたことあるの?」
「あるわよ。遥夏も、誰かに書いてみたら?喜ばれるわよ~、きっと。」
「喜ばれる、かあ。」
翠は、どんな気持ちで、あの手紙を書いていたんだろう、と想いを馳せながら、晩御飯を食べ終えた。

自分の部屋に戻ると、わたしはまた携帯電話を開いた。
さっきのメッセージに対して、翠からドヤ顔をしたウサギが送られてきていた。
いや、なんかもっと言うことあるだろう、と返信しようかと思ったが、文字を打つのも面倒で、通話ボタンをタップした。

5コールくらい鳴った後に、通話が開始された。
「……もしもし?遥夏ちゃん?元気?」
「……元気だけど、翠、他に言うことあるでしょ。わたしびっくりしたんだから。」
ため息交じりにそう話すと、翠の笑い声が聞こえてきた。
「ちゃんと届いてよかった。遥夏ちゃん、驚いてくれたんだね。」
翠の声色はどこか楽しそうだった。
なんだか一人で楽しそうで、ちょっとだけむっとした。
「なんで、手紙書いたの?電話とかアプリの方が早いじゃん。」
わたしがむっとしたまま話すと、翠がまた笑っていた。
「そうなんだけどね、手紙、書きたくなったんだよねえ。携帯電話越しじゃ、伝わらないような気がして。」
「……なにが?」
翠の言っていることが、よくわからなかった。
「うーん、私もよくわかってないんだけど、なんかあるような気するだよねえ。」
わたしの気持ちに、気付いているかのように、翠はそういってから、また話出した。
「遥夏ちゃんと、ちっちゃい頃からたくさん一緒に話して、遊んで、今はすぐ会えないけど、携帯電話ですぐ連絡できるでしょ。」
「……うん?」
「だからこそ、って言ったらいいのかなあ。なんか、ちょっといつもと違うことしてみたくなっちゃった。」
うふふ、とちょっとお上品な笑い方をする翠は、いつも通りの翠だった。
「きっと、遥夏ちゃん、まだ手紙読んでないでしょ。ゆっくり読んでね。お返事待ってるから。」
「……わかった。」
しばらく雑談をしてから通話を切った。
机の上には、まだシールをはがしていない手紙が置いてあった。
携帯電話を置いて、手紙に手を伸ばすと、メッセージが一件届いた。
『お返事は、手紙で書いてくれると、嬉しいなあ』
ご丁寧に手紙の絵文字まで添えられたメッセージにまた不思議な気持ちになった。

翠は、わたしに何を伝えたかったんだろうか。
その答えが、この手紙にあると信じて、わたしは手紙を開けた。

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