「あなたは、自分が自主的な人間だと思いますか?」

こんな質問をされたとき、皆さんはどう答えるだろうか?消極的な人が多いとされる日本だと、恐らく”自分は自主的だ”と回答する割合は半分以下だろう。

ただ、この質問に対して”自分は自主的だ”と回答する人の割合を増やす方法が、ひとつある。それは「自分が積極的に行動した過去の例を3つ挙げてください」という質問を、質問の前に加えることだ。

なぜ、そんなことで自分は自主的だと回答する人が増えるのか?
そこには、脳に備わる仕組みが影響をしている。

「アクセスのしやすさ」が影響を与える

誰にだって、人生の中で3つくらい、自主的に行動したエピソードがあるはずだ。

異性に告白をしたとか。
電車で席を譲ったとか。
落ちてるゴミを拾ったとか。

そして、”自主的に行動した”という記憶にアクセスした後には、自分はそういうタイプの人間だと思い込みやすいという脳の傾向がある。性格診断のアンケートをとる度に違う結果になるのには、そういった理由がある。これはつまり、自分に対する認知が、どういった記憶にアクセスするかによって、変化するということ。

さらに面白いのは、例を3つではなく10つにすると、今度は逆に「自分は自主的ではない」と答える人が増えるということだ。

その理由は、10個もエピソードを思い出すことは多くの人にとって難しいから。10個の例がすぐに思い浮かばなかった人は、「言われてみると、あんまり自主的な行動してこなかったな...」と考え、"自分は自主的ではない"と思い込んでしまう。

そのときどういう記憶にアクセスをしたか、ということや、日頃どういう記憶にアクセスしているかなどが、自分に対する認知に影響を与える。そしてこれは、自分自身の認知に対してだけではない。あらゆる物事への認知に対して、同様のことが起きる。

言い換えると、私たちが見ている世界は、私たちが知っていること、アクセスしやすいことによって歪められているということだ。さらに言うと、私たちにとっての「正しい」という感覚は、「自分にとって居心地がいい」という言葉と同等だといっても過言ではない。

正しさは、好き嫌いに影響される

人は育った環境、コミュニティ、人間関係によって「何を正しいと思うか」が変わる。なぜなら、その環境の居心地の良さを享受するためには、その方が都合が良いからだ。

では、「居心地の良さ」というのは、何によって判断されるのか?

結局、それは「好き嫌い」だ。
自分が好きだと思ったものは、心地が良い。そして、心地が良いものを人は正しいと判断しやすい。私たちは、まずその仕組みを知り、正しさと向き合う必要がある。

何が間違っていて、何が正しいのかなんて、所詮は人の好き嫌いによって作り出させるものなのかもしれない。そういう脳の反応があるということを念頭に置いた上で、次回は「人の好き嫌いはどのようにして作られるか?」についても考えていきたい。

人の好き嫌いも、環境による影響が大きいということについて。

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