とある朝の「ゴミ拾い」にて
「来週の朝、ゴミ拾いするから一緒に行こう!」
出勤前の朝の時間、先輩からゴミ拾いに誘われた僕は、
「お世話になっている先輩」
「ゴミ拾いという断りづらい内容」
「予定がありますと言うには無理がある時間帯」
という3点セットに断る理由も見つからず、渋々了承。
ごみ拾いのため勤務先より4駅手前で降り、集合場所へと向かった。
ゴミ拾いが始まると、最初はダラダラしていた僕も、始まってしまえば気持ちがいいもの。
10分経ったころには、草むらの茂みに一生懸命手を伸ばして、小さな紙くずを拾っている自分がいた。
30分ほどでゴミ拾いは終わり、その場で解散。
押し寄せるサラリーマンの波を逆走しながら、駅の改札へと向かった。
せかせかと仕事場へ向かうサラリーマンとすれ違いながら、『俺は朝からゴミ拾いをしたんだぞ。』と誇らしげになっている自分は、なんて単純な性格だろうと思いつつ、朝に通ってきた道を歩く。すると、足元に落ちているごみがふと目に飛び込んできた。
周りをみると、舗装された道にはいたるところにゴミが落ちている。
道の端には、そのゴミをせっせと拾っている清掃員の姿。
行きと帰りで、まるで違う道のように思えた。
僕がごみ拾いをしていた30~40分の間に、それだけのゴミが道に捨てられたのだろうか?
その可能性も0ではないが、恐らくそうではない。
変化したのは街ではなく、それを見ている自分の視点。
ごみ拾いをしたことによって、受け取る情報が変わったのだ。
「面白さ×学び」のコンテンツ
僕たちは、日々たくさんの情報に触れている。
ある調査によると、現代人が受け取る情報は『江戸時代の人々の1年分』に相当するとかしないとか。
ニュース、広告、SNS‥
日々溢れ返っている情報に対して、私たちの脳はすべてを蓄積することなど到底できない。
それらの情報は、私たちの無意識下で「必要な情報」「不要な情報」へと取捨選択されている。
取捨選択の基準となるのは、それまで培ってきた知識や経験、そして今の意識といったものだ。
毎日のように見ている街並みでも、「この街の特色を見つけてきてほしい」と言われて歩けば、これまでとは違う新たな一面に出会えるはずだ。
意識を変えるだけで、私たちの視ている世界は変わる。
では、皆さんは普段どんなことを意識して情報を得ているだろう?
皆さんが意欲的に得ている情報はなんだろう?
意識的に得ている情報は、人によってさまざま。
ただ、大別すると「面白い情報」と「必要だと感じた情報」の2つであると私は感じている。
例えば、Netflixを視聴するとき。
多くの場合「見たいから見る」という、純粋な欲求で見ている。
一方、ニュースはどうだろう?
「今日の19時からのニュースが楽しみ」と言っている人に、僕は出会ったことがない。
大抵、ニュースを意識的に見るときは「必要性」にかられて見ているはずだ。
そもそも、ニュースは「面白さ」という軸で作られていない。
つまり私たちは、「面白い」から得る情報と、「必要」だから得る情報がある。
そして、大抵の場合「必要性」に駆られて得る情報の方が、自分に役立つ情報である場合が多い。
これが逆なら、みんな苦労はしないのだが‥
ニュースレターで実現したいことは、この矛盾した状態を、できるだけ緩和すること。
「面白さ×学び」のコンテンツを作ることである。
テクノロジー・社会情勢・物事の考え方など、様々なことに焦点を当てて、それらをいかに楽しく伝えることができるか。
そして、このニュースレターを見た人の関心領域が広がったり、今までとは違った視点を獲得できたり、より深く学びたいフックとしての役割を果たすことができるコンテンツとして機能すること。
情報を「義務」ではなく「知的欲求」をもって能動的に得たいと思ってもらえるようなメディアを作ることができれば、皆さんの生活に小さな彩りを加えることができるかもしれない。
ニュースレターの配信を決めた背景には、そんな想いが込められている。
そして、自らの関心領域を獲得した人たちが、新たな発信者として、小さな情報の循環が生まれること。
それが、より良い情報が巡っていく方法であると信じて、ニュースレターを届けていきたい。