「先輩のグチ聞かされるのってダルいよね〜」という先輩のグチ。
「人の意見なんか聞くな!」という人の意見。
「考える前に行動すべき」という考え。

一見するとバカバカしいこれらの矛盾も、言っている当の本人は気付いていない場合が多い。私たちがこのようなおかしな状態に陥らないようにするには、現状を正しく把握する力や、自分を客観視する力が求められる。また、昨今はSNSやマーケティング広告に触れる機会が増えたため、外側の思惑に自分の感情をコントロールされないようにすることも大事になってきている。

それらの問題を解決するために必要なスキルとして「メタ認知」能力がある。

「メタ」には、「高次の」という意味がある。
そして認知とは、何かを「認識」すること。

つまり、メタ認知とは”自分が認識している物事を、俯瞰して捉える力”のことを指す。

メタ認知
客観的に自身を認知している状態。

昨今では、とくに「メタ認知」の必要性が問われている。

なぜメタ認知が必要なのか?
メタ認知が高いと何が良いのか?
メタ認知を鍛えるにはどうすれば良いのか?

そんな疑問を解決するべく、メタ認知について考えていきたい。

メタ認知が低い状態とは

メタ認知の必要性を考えるために、まず”メタ認知が低い状態”というのを考えてみる。メタ認知が低い状態を別の言い方でいうと「主観的にしか物事を見れていない」状態と言い換えることができる。

最近は、自分と全く関係のないことに対してSNSで罵詈雑言を浴びせるコメントをニュース等でも見かけることがある。YouTubeのコメント欄なんかもまさにこれだ。そういったコメントを見ていると、いかにバカバカしく恥ずかしい行為かと思ってしまうが、そういう人は、客観的な視点から物事を捉える力が弱いため、自分の視点や思考から、自分の感情をそのまま発散してしまう

では、そのような行為をしてしまうとき、人にはどんなことが起きているのだろう?

認知のメカニズム

メタ認知を考えるときには、まず人間の「認知」について考える必要がある。
私たちは、どのようにして物事を認知しているのだろう?

全く同じ映画を見ても、面白いと感じる人もいればつまらないと感じる人もいる。その理由は、人の「認知」情報に違いがあるからだと考えられる。

人の認知情報に違いが出るのは、私たちが情報をそのまま解釈しているわけではないからだ。私たちは情報を受け取ったとき、そこに何らかの意味を付け加えて認識をしている。そして、その「意味」が出来上がっていく過程には、私たちの「身体反応・記憶・言語」という3つの要素が関係している。

例えば、上司に怒られたとき、心臓がバクバクしたり、手に汗を掻いたりすることがあるだろう。これが「身体反応」である。そのような身体反応が起きたとき、私たちは過去の記憶と照らし合わせて脳内処理が行われる。その結果、悲しいという感情が生まれたり、辛いという感情が生まれたりするのだ。(そして、そのような抽象的な物事を心に落とし込むには、言語が重要であると言われている)

ここで重要なのは、この「意味情報が過去の記憶と照らし合わせて作られる」ということだ。
つまり、私たちの中に新たな記憶が加わることによって、別の視点を持つ可能性が生まれる。

例えば、昔上司に怒られた後に「お前に成長してほしいと思って、あえて厳しく言ったんだよ」と言われたような経験があると、同じように怒られたとしても「これは自分のためを思っていってくれているのかもしれない」という視点が生まれる。

このように、同じシチュエーションでも複数の視点で考えることができるのは、私たちが意味情報によって物事を理解しているからだ。

メタ認知が低い人というのは、物事に対する「視点」が単一であったり、偏っている人であるといえる。

そして、その理由は記憶の中に別視点を持つための情報が不足しているからだ。
つまり、メタ認知の低さは知識や経験が不足しているがゆえに起きてしまうということ。

このときの知識というのは、国語や数学のような知識ではなく、「Aという状態のとき、Bという考えの他にCという考えもある」というような、自分が持っていた視点と、別の視点を獲得するための知識である。

では、メタ認知力が低いと何が問題なのだろう?
そのことについて、次回考えていきたい。

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