私たちが幸福を感じるときは、どのようなときだろう?
美味しいものを食べたとき
好きな人と一緒に居るとき
欲しいものが手に入ったとき
望んだ欲求が満たされたとき、私たちは幸福だと感じる。
果たして、本当にそうなのだろうか?
多くのビジネス本では、”お金で幸せは買えない”的なことがよく書かれている。また、データとしても「一定の収入を超えると、幸福とお金の相関関係はなくなる」という結果が得られている。
欲求を満たすこと。
それをお金で解決すること。
私たちの幸福感は、それだけの単純作用で成り立つものなのだろうか?
とある実験で、サラリーマンの1週間を昼と夜に分け、14パターンでどの曜日のどの時間帯が最も幸福感が高まるか、という実験を行った。対象とするのは、月〜金に働き、土日が休日である一般的なサラリーマン。
幸福を感じる際に発生する神経伝達物質(セロトニン等)の分泌量を調べ、”どのタイミングで幸福感が高まるか”ということについて調べる。
皆さんは、いつだと推測するだろうか?
捻くれ者でなければ、恐らく多くの人が「金曜の夜」「土曜の昼」「土曜の夜」のどれかだと予想するだろう。(仕事が好きでたまらない人や、休日に嫌なイベントがある人を除けば‥)
しかしこの実験結果では、そのどれも幸福の最高到達点ではなかった。
最も高かったのは、金曜の昼だったのだ。
虚構を作り出す力
この実験結果から、どのようなことが推測できるだろうか。
もちろん、金曜の昼の仕事が、他の曜日に比べて楽しい仕事だった、という訳ではないだろう。この結果から考えられることは、私たちの幸福は自分たちが置かれた状態よりも、想像(イメージ)によってもたらされるのではないか、ということだ。
金曜の昼に幸福度が高まった理由は「これが終われば休日だ」という、休みに対する期待値が、実際に休みの最中にいる状況よりも、幸福度に影響しているということが考えられる。もちろん、この結果のみでその推測が正しいとするのは、あまりにも安易である。
それでも、想像の力が人にとって重要であることは間違いはない。なぜなら、私たちの種が生き残った理由に、その力が大きく影響をしているからだ。
私たちは、現在起きていない状況に対して想像し、コミュニケーションが取れる唯一の生物であると考えられている。ライオンが目の前に現れた時、ライオンが来たことを仲間に教える術をほとんどの生物は持っている。しかし、「もしライオンが来たらどうする?」というように、今起きていないものに対してイメージを働かせ、対策をとることは、人間が獲得できた一つの能力である。
「空想」「妄想」「嘘」「夢」など、も同じことであり、それらによって私たちは他の生物の何倍にもなる集団を作ることができた。神や宗教も、実際に存在していないもの(存在が見えないもの)という観点で共通している。
それらを共有し、同じものを信じる集団として、何万という数で連携を取ることができたことが、ホモサピエンスが地球を制圧できた理由であるとされている。
未来に幸福を感じる何かを置く
私たちにとって「想像すること」は、種が生き残るために必要な能力であった。
そう考えると、幸福感を得るためにも重要な役割を担っているということは、なんら不思議なことではない。できるだけ種が生き残るように、できるだけ想像力を働かせるようにするには、そうしたいと思わせるプログラムを組むことが必要になるからだ。想像することが幸福に直結する。
つまり、私たちが幸福度高く生きていくためには、未来に楽しみとなるような何かを置き、想像しながら日々を過ごすこと。そういったことが重要になるのではないだろうか。
簡単に言えば「少年よ、大志を抱け」ということだ。