理性と感性。

この性質は、対比的に語られることが多い。

最近はよく
「好きなことで生きていく」
「自分のこころに正直に生きよう」

というような、感性ドリブンの生き方を称賛するフレーズをよく目にするようになった。

だからこそ、あえてそれを逆の立場で考えてみたいと思う。感性を大事にすることがもたらす、危うさについて。

理性から感性を逆算する

理性と感性。それぞれを辞書で引くと、以下のように出てくる。

【理性】
物事の道理を考える能力。道理に従って判断したり行動したりする能力。
言い換えると「推論能力」である。

【感性】
印象を受け入れる能力。感受性。
また、感覚に伴う感情・衝動や欲望。

少し分かりづらいため、もう少し深ぼってみよう。

理性と調べた際に出てきた「道理」とは、「物事の正しいすじみち。正論」のことである。もう少し噛み砕くと、「人として行うべき正しいこと」ということらしい。

そして「推論」を辞書で調べてみると、「既知の事柄を元にして未知の事柄について予想し、論じること」と出てくる。

つまり、噛み砕くと「過去の経験から未来を予想する」という意味になる。
これを逆からまとめてみると、以下のようになる。

・推論
過去の経験から未来を予測すること。

・道理
人として行うべき正しいこと。

・理性
人として行うべき正しいことを考えたり、行動したりする力。
過去から未来を予測し、正しいことを考えたり、行動したりすること。

 

では、そこから考えてみると「感性」はどういう意味になるだろうか。

逆説的に解釈すると、「人として正しいかは置いといて、自分が感覚的に感じとったこと」ということだろうか。

少し理性びいきな解釈であるようにも思えるが、捉え方としては間違ってはいないだろう。

では次に、この理性と感性の関係について、とある問題で考えていきたい。

トロッコ問題

トロッコ問題とは、倫理観を考える時に使われる有名な問題である。

内容は、以下のような内容だ。

目の前に、制御が効かないトロッコが走っている。
進む先には、5人の作業員が。

あなたは今、トロッコの進行方向を変えるレバーの前に立っている。
レバーを引けば線路が切り替わり、5人を救うことができる。

だが、切り替えた先の線路には別の作業員が1人おり、レバーを引けばその1人が犠牲になる。

あなたは、1人と5人、どちらの命を選ぶか?

どちらを選んでも地獄、というような状況だが、単純に数の原理だけで考えて「1人より5人の命の方が重い」とするのは、多くの人が考えうる意見である。では、もし1人の側が「あなたにとって大切な人」であった場合、どうだろうか。

あなたに感情が備わっているならば、レバーを引くかどうかは置いておいて「大切な人を助けたい」と思うはずだ。そしてその感覚は、「正しいどうかは置いておいて、感覚的に感じ取ったこと」という、感性を優先する考え方そのものではないだろうか。

ただ一方で、「人としての正しさ」を考えてみると、「大切な人を犠牲にすることが人として正しいか」という問いに対しては、疑問が生じる。もし「親だろうが恋人だろうが迷わずレバーを引きます」という意見を聞けば、その人のことを「サイコパス」だと感じるだろうし、「大切な人を守る方が、人として正しいのでは?」という意見に対しても納得感はある。

そう考えてみると、理性と感性というのは必ずしも正反対のことを指している訳ではない、ということがわかる。「感情と正論が全く異なる」という状況が、どんな場合にも当てはまるわけではないのだ。

100日後に死ぬワニ

だから「理性も感性も大事です」とするとあまりに無味なため、もう1つ題材をもって考えてみよう。
少し古いが、「100日後に死ぬワニ」という話を題材にして考えてみる。

この話は、ツイッターで毎日1投稿されていた4コマ漫画で、「主人公であるワニが100日後に死んでしまう」という設定のもと、多くのフォロワーに看取られる形で最終回を迎えた。作品が完結すると、感動によるコメントがタイムラインに並び、多くの人の心を掴んだ作品であったことが見てとれる。

一方で、その後矢継ぎ早に発表された「映画化」「グッズ販売」などによって一気に逆風が吹いた。

「最初からメディアミックスなどを前提に仕組まれていたのでは?」という意見がSNS上で飛び交い、「電通案件」というハッシュタグがトレンド入り。

「熱が冷めた」「結局金か」というコメントによって炎上してしまったのだった。

感性は誘導できる

この騒動については人によって様々な意見があるだろう。

その是非はさておき、このことから私たちは「人の心を誘導することで、それはビジネスになる」ということを学ぶことができる。そして今回の話に限らず、世の中はたくさんの心理誘導に溢れている。

そんなとき、「心のままに」選択したことが、必ずしも自分にとって良い方向に進むかどうかはわからない。世の中がきれいなビジネスばかりであれば理想だが、そうではないことは社会人であればひしひしと感じているはずだ。

もちろん、お金が悪であるとは全く思っていない。人の感情をプラスに動かしたのであれば、それ相当の対価を得るべきであると思う。ただし、自分の感情を正しく導くためには、そういった心理状態を一度客観視し、「物事を正しく理解しようとすること」が大事になる。

「知識」を身につけ、「経験」を積む。
「知性」を磨き、「理性」を育む。
一度心を離れてみることは、結果として「心のままの選択」ができる土台になっていくようにも思う。

理性と感性。
論理と感情。

対比的に語られる2つの言葉の本質は実は似通っていて、どちらも人生において大事な性質である。

だからこそ、自分の人生をより良い方向に導くために、どちらも日々育んでいきたい。

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