落ち着きに入った静かなカフェの秩序が保たれなくなることはよくある。
貸し切り状態だったその空間では、白髪交じりでビックサイズの暗いオレンジ色のシャツを着た男性が、お粧ししたショートヘアの女性にマーケティングについてお伝えするリサイタルが始まった。理論、考え方、それらの根拠となるデータから取るべき行動やその計画を伝えきったのかパソコンを閉じた男性は満足そうに、女性はその情報の多さからか困惑した様子でカフェからいなくなった。女性側のパソコンは一度もタイピングされない状況だった。カフェに静けさが戻った。ぬるいカフェラテでも美味しかった。根拠や証拠が織り込まれた計画通りに進むことはあるのだろうか。
徹頭徹尾的に臨むが、竜頭蛇尾的に釣り合いが取れなくなることもある。ソフトウェア開発の手法では全体を決めて開発するものだけではなく、だいたいを決めて開発進めてしまおうという考え方がある。
従来型の手法として最初に全体の設計と計画を決定し、開発を進めていく様子を川上から川下に向かって流れる滝のように順に遂行していくウォーターフォールモデルがある。ほかの手法として、その柔軟性からビジネス戦略における価値創造の局面でも応用されるアジャイルは、世の中の不確実さと変化の速さへ柔軟に対応することができる。『変更が当たり前』という前提があり、だいたいの仕様と要件を決めて開発することが特徴である。アジャイル開発の歴史は21年前であるが、ソフトウェア開発手法だけに限らずこれまでにない革新的とされるアプローチはこれからも新たな価値観を生み続けるだろう。では、だいたいを決めて動き出すということを信じてもいいのだろうか。
「やってみるPDCA」を解説している藤崎圭一郎さんの記事では、おおかたのコトの起こりは「やってみた」で始まるという。「やってみる」はPlay(挑戦)とDo(実行)が合わさることと定義されている。
従来のPDCAとは、Plan(計画)Do(実行)Check(評価)Act(改善)の略だが、最初は計画を立てることから始まる。その一方で「やってみるPDCA」では、Playに対して遊び心が満ち溢れ、デザインするだけでなくプレイヤーになり「挑戦する」という意味を込められている。「やってみる」ことから学び、次に失敗を減らしたり、さらなる変化・成長を求めて「計画」が必要になり、従来のPDCAサイクルが回りだす。この二つのPDCAサイクルがCheckを結接点としPlayからPlanに流れるルートができあがるという。歴史的にもデザイン創世期から工房にはPlayがあったことを引用しながら、あらゆる創造性を必要とされる現場で活用できるはずと著者は伝えている。図解されてあるので気になる方は読んでいただきたい。それでは一体何が最適なのか、どのようにそれを評価するのだろうか。それに納得する日はくるのだろうか。
主張とその正当性の確認についてチャレンジを続ける記事が『Literary Hub』で紹介されている。「フィクションを読むとよりナイスな人になれる。」というタイトルで読書の効果について述べられている。読書をすると「起業家として成功する」「ストレスが減る」と言われていることは見聞きしたことがあるかもしれない。それはフィクションを読むことで、人間関係や内面について明確にしたものを自分の人生に応用するためであるとされている。文学小説を数ページ読んだだけで相手が何を考え、目や顔や写真からの人の感情を見分ける能力が向上し、何を望んでいるかを判断するテストで良い結果が得られるという研究がある。その研究は方法論が紙面で批判されたため、その正当性を確認した結果、わずかながら統計的に有意な影響を与えることを確認した。そのためフィクションを読むとよりナイスな人間になれることが証明されたということである。フィクションと社会的認識の間の関係性の性質にはまだ完全に明かされていないと論文の著者自身が指摘し、今後の研究で調査すると提言しているようだ。新しい暮らしが始まる4月。何かを開始したい、習得したいと動き出そうとするとき、その方法論を選定するタイミングが必ずあると思う。それらの価値や正当性は、フィクションを読むことに関する研究のようにあとから証明される場合もある。目の前の選択肢と向き合い困惑してしまうときには頭でっかちになって行動しないことよりも、1000本ノックの1本目から、PlanではなくPlayから始めると大切にしていきたいと思う。
『SUZUME』を始めたときは「やってみる」をキーワードに進みだしたが、引き続き「考えることを愉しむ」というPlayな体験を届けるニュースレターでありたい思う。