以前、友人から「知り合いがちょっと様子がおかしいように見えるから、大丈夫か確かめてみてほしい」と言われた。友人の知り合いA君が、僕と同い年ということもあり、気持ちが通ずるところがあるかもしれない、と思ったらしい。

友人を介してA君と会う時間を作り、休日のお昼に3人で軽くご飯を食べながら話をした。

初めましての挨拶。
お互いの自己紹介。
趣味の話。休日の過ごし方。

お互いの話をする中で、仕事の話になった。するとA君は、過重労働、上司からの圧力、いかに仕事が厳しいか。仕事に対する不平不満のようなものを、つらつらと話し始めた。話している姿は辛そうな感じは見せないが、話の内容からどれだけその仕事がブラックかをひしひしと感じた。

「転職したほうがいいんじゃない?」
A君にそう話すと、A君は転職するつもりはないと答えた。上司は厳しいし、休みも全然取れないけど、仕事にはやり甲斐を感じており、その厳しさに耐えることで成長できると感じているらしい。

あまり辛そうな顔をしていなかったため、特に否定することもなく、「ほどほどにね」と言ってその日は別れた。

数ヶ月後。
友人から、A君が鬱になったと連絡が来た。

認知的不協和理論

話を聞くと、鬱になった理由は十中八九、仕事のせいらしい。

ただ、話している当時は、鬱になることなど全く想定できなかった。強がっていただけといえばそう思えなくもなかったが、それよりもっと、自分をわかっていないような、何か自分を正当化しようとしているような、そんな感じにも見えた。

どうやらこれは、誰しも起こりうる厄介な性質らしく、心理学用語で「認知的不協和」と呼ばれるものらしい。認知的不協和は、私たちの感情と行動に矛盾が生じたときに生まれる。

体に悪いと思っていながら、タバコがやめられない。
暴力を振るわれているのに、彼氏と別れられない。

このように、私たちは感情と行動に矛盾が生じることがある。そんなとき、人は感情を変化させることで、感情と行動が矛盾することによるストレスから、一時的に回避する機能を持ち合わせている。

ストレスを一時的に回避するために、今の行動を正当化してしまうのだ。

ブラック企業を辞めなかったA君も、その仕事を続けている状況を正当化していたのだと考えられる。その結果、精神を病んでしまうまでに、自分を追い詰めてしまった。

人の身体にはあらゆる機能が備わっており、その結果さまざまな”バグ”が生じてしまっていると、研究者たちは常々話している。

私たちは、”自分のことは自分が一番わかっている”と思いがちだ。しかし、人体の仕組みを詳細に知っており、最新の研究論文を隅々まで調べている人間など、ほとんどいない。

まずは、自分自身のことを疑ってみること。
そうすることで、見えてくる新たな視点もあるかもしれない。

都合の良い解釈から、解放されるために。

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