翠から届いた白い封筒の中には、翠からの手紙と、写真が入っていた。
写真は、青い花がたくさん咲いている中に、翠らしき人物の後ろ姿が映っていた。見覚えがあるのに、思い出せない花の名前と、翠の後ろ姿に、頭の中は疑問符でいっぱいだった。
なにも疑問が解決しないまま読んだ手紙には、翠の引っ越し先での生活がつづられていた。家族で観光スポットまで行ったとか、転校した学校の話から、新しくできた友達の話まで、翠の文字が、わたしに話しかけてきているようだった。
おまけに、山梨に行ってから、今まであんまり好きじゃなかった桃が、おいしくてたくさん食べれるようになったと、嬉しそうな文字で書いてあって、ひとりでつい笑ってしまった。翠の楽しそうな様子が伝わってきた手紙には、『遥夏ちゃんに見てほしいから、ネモフィラの写真も一緒に送るね。』と書き添えられていた。
最後には『また会えるときまで、手紙送るね。』とも書かれていた。
楽しそうな翠の様子は、確かに嬉しいのに、心の奥底がずきずきとする感覚が襲ってきた。翠が楽しそうなのは、いいことのはずなのに、翠の好きなものも、嫌いなものも、どんな性格かも、どんなことを考えているのかも、全部全部、わかっているはずなのに。
少し離れたこの間に、知らない翠が、どんどん増えていっていることが、わたしの中を焦燥感でいっぱいにした。
わたしの知らない翠は、どこか先に、遠い未来まで進んでいるような気がする。わたしはずっと、ちょっと前まで翠がいた世界で、なにも変わらず、どこにも行けずに、取り残されているようだ。
今度、翠に会えるのはいつなんだろうか。
翠にどんな返事を、送ったらいいのだろうか。
翠は、わたしに何を伝えたかったんだろうか。
花の名前が分かったところで、わたしの頭の中の疑問符が減るどころかまた増えてしまった。白い封筒に写真と手紙を戻して、机の上にまたそっと置いた。
視界に入るのがつらく感じるようになった真っ白な封筒は、3ページしか書かなかった日記帳で蓋をした。
わたしの焦燥感など何もしらない学校では、新学期早々に行われた実力確認テストとやらも終わり、部活にも後輩が入ってきた。クラスの雰囲気も、どこかよそよそしさは消えていないけど、グループみたいなものは形成されてきた。
いかにも4月らしく、学校生活は進んでいった。
眠くて耐えられない数学の授業は、のんびりとしたチャイムが鳴り終わるのと同時に終わった。
わたしはずいぶんと重たくなったまぶたを開きながら、時間割を見ると、オレンジ色のマスに、選択Aと書かれていた。
選択Aの授業は、いつもひとりで移動していた。
なんとなく形成されたグループの子の中に、わたしと同じ科目の子はいなかった。
何回か授業を受けると、別のグループに同じ科目の人がいるのは気づいたが、わざわざ一緒に行こうという気持ちにはならなかった。ぱらぱらとみんなが移動していくのに気づきながら、あくびをひとつした。
「稲村さん、次、一緒に教室いかない?」
あくびが終わるくらいのタイミングで、後ろから声をかけられた。振り向くと、同じ科目を受けている女子の、確か、藤崎さんだった気がする。
「あ、うん。」
突然話しかけられたことで少し目が覚めた。
一問も進んでいない問題集をしまって、ばたばたと教室を出た。藤崎さんとなんとなく並ぶように廊下を歩いていた。またひとつあくびをするわたしを見て、藤崎さんは笑っていた。
「なんかさ、稲村さんっていっつも眠そうだよね。」
「……あ、そういう風に見えるんだ。」
「いや、私も眠いけど、稲村さんの方が眠そうだなあって思って見てる。」
「……そりゃどうも。」
藤崎さんはこちらを一目見てから笑って、今日の数学教師がいかにつまらなかったかを楽しそうに話していた。
ぱっと見おとなしそうに見えるけど、よくおしゃべりするタイプのようだった。人は見かけによらない、という言葉は、こういう時に使うんだろうか。教室に入ると、すでに同じ授業を受ける見知った顔が何人かいた。
自分のクラスよりもよそよそしい空間で、藤崎さんはきょろきょろと席を探していた。
「稲村さん、こっち座ろうよ。」
藤崎さんはわたしを、窓際の真ん中よりも少し後ろにある席に誘導した。
ここなら寝てもばれなさそうだなあ、と独りよがりなことを考えていた。誘導されるがまま窓際に座ると、藤崎さんはわたしの隣に座った。
使うかもよくわからない教材たちを並べていると、後ろから男子たちの笑い声が聞こえてきた。
「あ、三上、古谷くんも、こっち空いてるよ。」
笑い声のする方に藤崎さんは話しかけて、話しかけられた男子二人は、案内された通り、わたしたちの席の近くまで来た。
「三上、お前、背高いから後ろ座れよ。」
「え、なになに、俺より背低いからって嫉妬??ちっさ~」
「うるせえよお前。」
男子二人が勝手に盛り上がって、勝手にわたしと藤崎さんの後ろに座った。
藤崎さんは男子二人の方を向いて、三人で談笑を始めた。またのんびりしたチャイムが鳴って、少し経った頃に先生が教室に入ってきた。藤崎さんは後ろから正面に向き直しながら、わたしの顔を見た。
「あの二人、仲良しだよねえ。」
「まあ、そんな感じするね。」
「稲村さん、女バスだし二人とも仲いいよね。」
「そうかなあ、そんなにがっつり話したりしないよ?」
「ふーん、……そうなんだ。」
何かを計算するかのような藤崎さんの表情に、違和感を覚えたが、知らないふりをすることにした。
この違和感は、関わっちゃいけない違和感だと、わたしの脳みそが勝手に警報を鳴らしていた。