前々回、前回と継続して、『平成経済20年史(紺谷典子)』を用いて平成の日本経済を振り返る。

小泉政権は橋本改革と同様「財政構造改革」を所信表明演説にて宣言した。その財政構造改革について橋本元首相は「間違っていた」と反省を述べた。しかしながら、「国債発行30兆円以下」「公共事業見直しと削減」などを柱に緊縮財政と増税は進んでいく。

平成14年度の予算は公約通り30兆円以下に収まったが、結果的に35兆円に近い国債を発行した。緊縮財政のために税収が落ち込んだのだ。この公約は平成18年度になって初めて達成した。それもアメリカへの輸出増に伴う税収入が増えたおかげだった。

日本の税収は平成2年は60兆円越えであったが、バブル崩壊から不況となったことと経済対策としての減税などで10兆円を超える減税となった。平成10年には40兆円に橋本改革の影響で落ち込み、平成12年には小渕政権の経済対策で50兆円台と回復したが、小泉政権では43兆円と落ち込み、橋本政権の轍を踏む結果となった。

小泉政権は平成17年10月14日に郵政民営化法が参院本会議で可決、成立させ、平成19年10月1日に郵便局は政府公社から株式会社になった。民営化した他国ではまず郵便局が減少し、手数料が上がり、配達が遅れるなど、公共サービスは低下した。

小泉首相は「郵政民営化」を言い続けていたが、その理由や動機についてはほとんど説明がなかったようだ。「民にできることは民に」を財政危機への対策としてキャッチフレーズとした。

郵政民営化についての世論調査では否定的な意見の方が多く、全47のうち45の都道府県議会が反対決議を行ったことから、多くの国民は望んでいなかったということになる。
その理由が「郵便局に不満がなかった」であり、当時の調査では民間の金融機関にも勝る評判であった。

次回は民営化についてその背景にあった流れをお伝えしていく。

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